彼岸、古いマツリの復興、地震。令和3年の春分の日に。

今年の春分の日(2021年3月20日)は、旧暦では二月八日。
そして、お彼岸の中日というあの世との繋がりが最も強くなる日でした。
今では28日はなんのことない日ですが、
旧暦二月八日は上弦の月の頃でここから「事始め」。
あの世との結束を固くする事で自分自身の「遺伝的感性」が身体の中から浮上してくるのです。
春分の日の朝、いつものようにお参りに行きました。
突然、今日はかなり真剣に祈らなければ「災い」がやってくる、という予感。
お坊さまが不在だったので一生懸命、祈りました。
観音経をあげている時に感覚が遠のいていく程に。
その後、いつものお参りだけでは足りず、近くの神社〜八幡神社で大祓をあげなくてはならない衝動にも駆られましたが、お店に行かなければなりません。
そうした中、夕方、
先日、庚申御游に参加してくれていた友人がカフェに訪れてくれました。
「今朝方、大きな地震が起きて、夢の中にいるのか現実なのかわからず。
しかもその揺れは治まらず、いつまでも続いているような感覚。
実際に目を開けて、携帯をみるが、どこにも揺れた気配はない。
それでも揺れている感覚が確かに身体に残っている。
妹も地震の夢をみた、と」
これは明らかに霊夢。
こういう夢は目覚めても現実との区別がつかない事が多い。
そうした時に必ず、「起きる」のだ。
今朝の
自分の感覚と照らし合わせてみる。
そこに、またひとり、朝一緒にお参りをしてくれていた友人もカフェへ。
みな、どことなく「今日」の感覚がおかしい、という。
動物的にいつもと違う、という事を感じていた。
Alone & Together
一人だけど、一人じゃない。
こうした感覚が大切だと思った瞬間、
五木寛之が
こういった。。
何気につけていたテレビから
そう流れた。。
年末にここ数年ずっと「ゆくとしくるとし」とみている、と。
日本全国の日本人が遠く響く鐘の音を聞いて、いる。
その瞬間、明らかに日本中の人が繋がっているのを感じる、という事を言っている。
昨日(3/20)は暦上、日本中、日本の祖先もみな繋がった日だった。
繋がった瞬間は1837分、春分になった時間である。
正確にいうと、今日(3/21)の夜1140分に月は上弦になるのであるがすでに「開いている」。
そのみなが繋がる日、さらにほぼ完全に繋がろうとしていた瞬間に
あの地震は「起きた」。
友人たちと地震のさなかであの揺れを感じた。
不思議なほど、恐怖はなかった。
「揺れているね」
「長いね」
「揺れている」・・・
まるで夢の中の事のようにその状態を「みている」。
「今朝、八幡さんにお参りに行こうと思ったんだよね?
一緒に行こうか。」と友人たち。
お店を急いで片付けて八幡神社にお参りに行く。
祝詞を上げて、お参りして、
日本の、仲間の、家族の、自らの、
無意識な「祈り」を終えた時、
なにかが身体の中で響いた。。。
「ああ、庚申御游・・・」
一緒に祈った4人はみなあの場にいた。
どことなくヴァーチャルな「場」を共有した、
あの昔の「マツリ」を復興した、あの瞬間。
そこにいた人の多くが互いに「つながった」ことを感じた、という。
庚申御游の最後に皆であげた
バリ島のケチャのような真言の後のあのなんともいえない時間は
「特別」な時空間を創出した、らしい。
ことごとく、そんな話題が他の参加者間でも行き交う1週間だった。
あのマツリ以降、はじめて顔を合わせ、そうした話をしている。
庚申御游の翌晩にテレビの生放送で「東大寺のお水取り」をみたことも
拍車をかけていた。
庚申御游は明らかに東大寺のお水取りまでの道のりだった。
お水取りの話、を信楽のことと合わせて伝えていた、からだ。
気比、気多、飯道、遠敷、と繰り返す流れはみな体験済みだった。
朝からすでに「なにかが起こる」ことを予感していた。
みな、そうした感覚をもって、話していた。
現実味のない中で。
夢とは自分以外の自分の中にある情報からの
その個体を生かそうとする「兆候」なのではないかと
思い知らされるほど。。
古いマツリの復興は
古い人たちの遺伝的感性を受け継ぎ、
「予感」で互いに守りあう、事が可能である、事の
実体験だった。。
わたしに関して言えば、庚申御游以来、彼岸前にから父と祖母がずっと
眠った状態でありながら、なんらかのメッセージを伝えるために
私の夢に現われつづけ、そして消えていった。。